日記:AIと研究

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AIによる研究への侵食が急速に進んでいる。先日Jacobian予想の反例がAIによって発見されたらしい。Jacobian予想がなぜそんなに数学界で重要なのかは知らないが、長年の難問とされていたようである。今回の発見は数学的に重要であること以上に、見つかった反例が驚くほどシンプルだったことが衝撃的なように思う。こういうシンプルさは、その裏に深遠な構造があることを示唆するし、研究の新しい方向性を与えうる。実際そういう方向で考え始めたプロの数学者もいるようだ。

コンピュータに探索をさせて人間では到底発見できない複雑な反例を探すというのは、すでにがあるし、いかにも機械学習とかニューラルネットワークが得意そうに(素人目には)見える。しかし、そういう発見は研究の方向性を直接決めるようなものにはなりづらいように思う。新しい概念を編み出したり新分野を開拓するような営みは、雑多な事実や発見の中に深い関係を見つけ、新しい方向を見出すことのように思う。こういう発見には、シンプルさが大事だと個人的には思う。シンプルでないということは、多くの場合そのアイデアが使える状況が限られていることを意味するから。シンプルなアイデアは多くのケースに適用でき、研究の広がりをもたせ、新しい研究の方向を決めていく。

Jacobian予想の解決のされ方は、AIにもそういうシンプルなアイデアと洞察、ひいては新しい研究の方向づけが可能であることを示したように見える。これまで私は、AI時代の人間の研究者の役割は研究の進むべき方向を決めていくことだと思っていたが、もうそういうレベルではないのかもしれない。結局、アイデアも洞察も、大量のデータ・経験から人間が見出していたものだから、大量のデータで学習したAIにできない理由はないのかもしれない。どんな分野であっても頭でAIと競うのは、自動車に足の速さで競うようなもので、そもそもナンセンスなのかもしれない。

私個人の研究も、日々AIに侵食されてきている。コーディングをするときなどはほとんどAI任せだ。もちろんちゃんと正しくできているか確認はするが、ここ最近で間違っていた(ことに私が気づいた)例はないと言っていい。最近特にショックだったのは、自分で考えていた問題に行き詰まって、AIに自分のノートを読ませて意見を聞いてみたときだ。かなりシンプルで、きれいな洞察を返してきた。少なくとも方向性は、僕が考えていたものより良さそうだ。ああ、もう自分で考えることに意味はないのかもと思ってしまった。

AIが文字通り指数関数的に賢くなっていく中で、人間が研究をすることにどれだけ意味があるのかをよく考える。自分の脳みそを振り絞りノートを書いたからこそAIの答えがあったのだ、と思えば多少慰めにもなるが、数年も経てばそんなものは無意味になるだろうことは自信を持って言える。

悲しい現実は、世の中の大半にとって、最先端の研究をするのが人間かAIかはどうでもよいということだ。研究者にとってすれば飯の種に関わる重大な問題だが、一般の非研究者からして重要なのは、(応用目的にせよ基礎科学的な興味にせよ)研究結果のみである。その裏で大学院生だかポスドクだかがどれだけ「新しいものを発見した喜び」に浸っていようがどうでもいい。それでも自身のライフワークとして研究をやるのだ、というのは立派だが、アカデミアの研究にかかるお金は多くの場合もとをたどると税金であり、非研究者から徴収されていることを忘れてはならない。アカデミアで日がな研究だけしていればよいという身分は、社会のサポートあってのことである。

研究のアウトプットだけを見るならば、AIを差し置いて人間が研究をする意味はどんどんなくなるのかもしれない。一つ意味が残るとすれば、AIに対する「セキュリティ」目的だろうか。AIに言われたことが全て正しいとは限らない。極論、AIの研究結果を鵜呑みにしたせいで人類が滅ぶ可能性が排除できないのなら、人間の誰かがAIの言うことを理解し批判的に考えなくてはならない。AIの父ヒントンも、AIのセキュリティ問題をかなり深刻に捉えているようで印象的だった。多種多様な情報がAIから入ってくる中で、誤っていたり危険な情報から人類を「護衛」することが、研究者の役割になっていくのかもしれない。果たしてそれが、従来の研究者にとって魅力的なのかはよくわからない。